經過我反復查找,竟然找不到這本評論集的原文。就只有這些了
崎潤一郎
『陰翳禮贊』
1946 創(chuàng)元社?1975 中公文庫
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若き日の中上健次が谷崎の小說をつかまえて「物語の豚」とあしざまに言っていたことがあった。これはさすがに中上の若書きで、その后はそういうことを言わなくなった。
だいたい谷崎潤一郎は、業(yè)界では“大谷崎”などと言われて、長きにわたって超越的な扱いをうけてきた。谷崎もそのうえにふんぞりかえるところがあって、たとえば川端などとはずいぶん処世のちがいを見せつけたものだった。
しかも中上健次が登場してきたころは、誰も谷崎などを論じる者がいなくなっていた。とくにフランス現代思想を少しでも嚙った者には、谷崎の業(yè)績は「物語の豚」の一言で片付けられてもしょうがない雰囲気もあった。當時は「大いなる物語の終焉」というポストモダン思想こそが流行していたからだ。
ぼくはどうかというと、実は谷崎にゆっくり取り組んだことがない。
嫌いなのではない。けっこう好きなのである。いつかそういうことをしようとおもっているのであって、敬遠しているわけでもない。
とくに『小僧の夢』『二人の稚児』『小さな王國』ときて『母を戀ふる記』『少將滋干の母』とつづいていく少年記にはもともと感嘆するものがあり、その一方で、『刺青』『春琴抄』『癡人の愛』から『鍵』『瘋癲老人日記』におよぶ耽美的系譜にはつねに異様に惹かれるものがあったので、いつかこの二つをつなげて考えてみたいともおもってきた。が、なかなかその気分になれないでいる。
最近、中公文庫が「潤一郎ラビリンス」と銘打って、谷崎の短編中編を主題別に編集したものが10冊ほど出てきたので、これさいわいと、ときおり日曜日などにひっくりかえってそれを摘まんで読んでいると、これまで見えなかった谷崎がいろいろ見えてきて、それもまたひっかかってくるのであった。
そんなわけなので、この「千夜千冊」にはぜひ谷崎の代表作をひとつ入れる必要があるのだが、ここではそうしなかった。その理由を以下に書く。
実は谷崎潤一郎には、いささか気にいらないものがある。日本趣味の解說ぶりなのである。
『吉野葛』や『蓼喰ふ蟲』や『蘆刈』などはまだいい。これらは小說仕立てになっている。そこが救われる。
たとえば『吉野葛』は、亡き母の面影を慕っていた津村が吉野の奧に母の生家をさがしあて、遠縁にあたる女性との戀にいきつくというような大筋なのに、これにさまざまな古典の題材をめぐらせ、おまけに物語の冒頭では吉野の自天王の因縁の話が出てきて、その自天王に興味を感じるのは「私」になっているために、少しでも詳しく物語の筋を說明しようとすると、たちまち復雑になるようになっている。
すなわち「私」の物語かとおもうと、それがたんなる伏線で、実は津村が幼いときに見た上品な女性が琴をひいていて、その曲が『狐獪』であったことなどのほうが重要な筋なのである。
こういう手法はまさに谷崎の獨壇場で、そうでなくては谷崎は「日本」を說明しないという姿勢が伝わってきて、圧巻なのである。
その后に『盲目物語』『蘆刈』とつづく谷崎得意の古典趣向の物語の幕開けにもふさわしい。とりわけ『蘆刈』などは、日本の小說をバカにしている者が読んでみれば驚くはずである。まさに復式夢幻能のみごとな再生である。
それゆえ、そういうのはいいのだが、その谷崎がエッセイで「日本」を語るとダメなのだ。とくに、あまりにも有名になった『陰翳禮贊』ともなると、ぼくにはなかなか承知できなくなってくる。谷崎がエッセイが下手であるのではない。隨筆もたいへんな名手で、ぼくも『月と狂言師』をはじめ、いくつもの谷崎の文章を紹介してきた。
が、隨筆で日本のよさを伝えようとすると、下手になる。そこを書いておきたいのである。
『陰翳禮贊』は、昭和8年から9年にかけて「経済往來」に書かれた。
內容は日本家屋がもっている「うすぐらさ」を稱揚するもので、それを說明するのに日本家屋の不便さをあれこれ引き合いに出している。谷崎が言いたいことは、煎じつめれば「薄明」と「清潔」の両立に日本の美意識が発端しうるということなのであるが、そこをけっして日本的には說明していない。下手なのだ。文章もうまくない。左官の鏝が右往左往している。
たとえば、漆器の美しさは暗が堆積しているところにあるという指摘は、その通りである。が、そのことを說明するのに、漆器の暗が文章そのものになっていないのだ。どうした谷崎、なのである。
もし日本的建筑を一つの墨絵に譬えるなら、障子
は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い
部分である。私は、數寄を凝らした日本座敷の床
の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理
解し、光りと蔭との使い分けに巧妙であるかに感
嘆する。
この文章もへたくそである。巧妙とは何事か。谷崎がえらびきった言葉とはおもえない。
后段、「いったいこういう風に暗がりの中に美を求める傾向が、東洋人にのみ強いのは何故であろうか」というくだりに入ってからも、谷崎のペンは冴えない。日本のお化けと西洋のお化けを比較したり、混血の話などをもちだして、話をぶちこわしてしまっている。
結局、ぼくが納得できたのは最后の最后の文章になってからで、「私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文學の領域へでも呼び返してみたい。文學という殿堂の櫓(のき)を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを暗に押し込め、無用の室內裝飾を剝ぎ取ってみたい」と綴り、つづけて「それも軒并みとはいわない。一軒ぐらいそういう家があってもよかろう。まあどういう工合になるか、試しに電燈を消してみることだ」と結んだところくらいなのである。
これはよくわかる。
陰翳を文學にもちこむというのは、まさに谷崎のシナリオであって、戦略であり、また絕妙に成功させたところなのである。
しかし、『陰翳禮贊』という文章をもって、谷崎が日本の美學や日本の美意識をなんとか說明してくれたなどとは、おもわないほうがいいい。
むしろ谷崎潤一郎が『陰翳禮贊』で「お茶を濁してしまった」ということが、その后のツケになっていたというべきなのである。
逆に、谷崎を本來に帰って援護するのなら、われわれは『吉野葛』や『蘆刈』にこそ陰翳禮贊をさがすべきなのである。